尾瀬沼スキー行 1981

実施日 1981年5月2日~4日
参加者 半田
報告日 1981/07/03(二ぺの声/vol.5-No.12)

行程

05/02 上野~~~沼田===大清水11:30—三平橋13:00—三平峠14:40—15:30長蔵小屋(泊)
05/03 長蔵小屋06:55—09:20燧ヶ岳10:10—11:50長蔵小屋
05/04 長蔵小屋07:25—08:10三平峠08:30—09:00三平橋09:45—10:20大清水===沼田~~~上野

長蔵小屋 5/4 Minolta SR-1s Kodachrome64
長蔵小屋から燧ヶ岳を望む
燧ヶ岳山頂から至仏山
燧ヶ岳山頂より奥利根・越後三山方面 1981/05/03 10:00am
燧ヶ岳 1981/05/03 7:00am

5月の連休には尾瀬沼でスキーを楽しんできました.5月上旬の尾瀬沼はまだ一面の雪原,どこでも自由に歩けます.それでも沼の北東に位置する大江湿原入り口附近には雪どけでちょっとした河が顔をのぞかせており,遅いながら着実な春の到来が感じられる.

入山者も多いが,ちょっと時間を外したり,場所を外したりすれば案外自分の空間を見つけ出せる様である.夕暮れ時になるとどこから来るのかイワツバメの群れが小屋のまわりに飛び交いにぎやかにさえずります.ついつい時間を忘れて,風呂あがりの体も冷え,下駄の足もかじかんでしまいます.気楽な山旅でありました.

奥穂初登頂記

日時:1981/05/02-05
地域:穂高連峰
参加:森田二郎,吉田智彦(森田先生と学生の吉田)
報告者:吉田智彦
報告:1981/05/30 (二ぺの声/vol.5-No.11)
投稿日:2025/01/20 (半田代理)

今年のゴールデンウィークは掛け値なしの3連休なのでどこか雪のある山へ行こう、とM氏から誘われた。彼はできれば北アルプスが良いと言う。僕は上高地近辺に足を踏み入れたことがないので,その辺りへ…という訳で思いきって奥穂へでも行ってみようということに決まった。人の数は多いだろうが、その方が安全だし(事故にあう確率も高い訳だが)5月は南―中央―北―南という過去の実績?からいっても北が妥当なのだ!

5月2日8:00pm北コンコースへ。「ちくま」の行列は、と見ると何んと中央コンコース。しかも二重三重の長蛇の列で松本まで立ちんぼうを覚悟したが大明神様の霊験で指定がとれたので勇躍列を離れて乗り込んだ。座席にはありついたものの結局眠れず、睡眠不足で危うくピッケルを忘れるところだった。

さて3日,初めて上高地に足を踏み入れる。予想通り大量の雪で夏道はトレースはあるもののずっと雪の上を明神~徳沢~横尾、と大勢の登山者とぬきつ、ぬかれつ、ぬかれつ...で涸沢をめざす。天気は昼頃晴れ間が見えていたりしたのに、横尾本谷付近から雨となり、涸沢小屋についた時にはずぶぬれになってしまった。おまけにカサをまたも忘れてきてしまったので休むこともできずバテバテになってしまった。

4日は朝から晴れ。快晴とはいかないが晴れである。予定の北穂から涸沢槍コースは指導員の言に従いあきらめて直接、白出コルに向う。コース上はそれこそアリの行列の如く登山者がひしめいている。我々は9:00頃出発。途中、日がさしてきて真夏を思わせたが3ピッチでなんなくコルへ。時間がメチャクチャ余って、こんなことなら北穂に行くんだったか、と思ったが気を取り直して涸沢岳へ。これも一応3100m、槍がやっと見えた。北穂~涸沢岳の稜線はさすがに人が少ない.北穂へ登っていった人の数は、白出コルへ登ってきた人の数とさほど変わらなかったように思えたのだが。

5日、風強し、快晴。10:00穂高岳山荘出発。涸沢をみるとテント村がいつのまにか消えている。人の殆んどいない稜線を奥穂へ、約30分で到着。すばらしい展望だ。八ツ~南~中央~白山...と、日本の3000m峰はすべて見えているのではないだろうか。写真をばっちりとって、さて後は下るのみ...と思ったら夏と違い意思に反して前穂に登らされた。更に奥明神沢をまっさかさに下って岳沢へ。あとはころげるようにバス停へ、丁度バスに間にあって、大阪についたら23:10。超駆足山行だったがこれも北アルプスならでは。

例の河童橋にて
槍をバックに
ジャンダルムと白山
岳沢へ下る

氷ノ山 山スキー 1981年2月

日時:1981/02
地域:氷ノ山
参加:大阪府山岳連盟主催(樋口,一村,半田参加)
報告:2025/11/
29

大阪府山岳連盟主催の山スキーツアーに参加した.急登が多くスキーを担いでの登りが多かったが多人数でのスキーツアーを楽しむことができた.ビンディングはジルブレッタの人がほとんどであった.氷ノ山は関西から近いのが一番である.

氷ノ山山頂にて
続きを読む